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このブログでは
不倫されても夫が大好きな
サレ妻さんに向けて
何があっても一日で自分を整える
夫婦再構築方法を発信中
しなやかな自分軸で
愛を育む専門家
夫との理解し合えない溝に絶望しているあなたへ
「どうしてこんなに、話が通じないの?」
「夫は、普通の人とは脳の構造が違うんじゃないか……」
不倫発覚後、地獄のような再構築の中で、あなたはそう自分に問いかけていませんか?
ネットで「アスペルガー」「自己愛性人格障害」という言葉を検索し、夫に当てはまる項目を見つけては、「やっぱりそうなんだ」とどこかで安堵する。
そんな日々を過ごしてはいないでしょうか。
かつての私も、全く同じでした。
仕事柄、人の心や体を分析する癖があった私は、夫に次々と「普通ではない理由」というレッテルを貼り続けました。
そうすることで、「私が悪いわけじゃない」「相手が異常だからうまくいかないんだ」と、傷ついた自分を必死に守り、正当化していたのです。
しかし、そのレッテルが、実は再構築を阻む最大の壁になっていたことに気づきました。
この記事では、私が夫を「病名」という型にハメることで、何から逃げ、何を失いかけていたのかをお話しします。
もし今、あなたが夫との理解し合えない溝に絶望しているのなら、少しだけ立ち止まって読んでみてください。
そのレッテルを一枚剥がした先に、本当の意味での「幸せな家族」への入り口が隠されているかもしれません。
不倫発覚後、夫に「何か障害があるのでは?」と疑っていませんか?
「不倫が発覚し、謝罪はするけれど、どこか他人事のような夫の態度」
「話し合おうとしても、論点がズレて会話にならない絶望感」
そんな日々の中で、ふと頭をよぎるのが「この人、何か脳の障害があるんじゃないか?」という疑念です。
ネットで検索すれば、アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)、自己愛性パーソナリティ障害、ADHD……といった言葉が次々とヒットします。
チェックリストを埋めるたびに「これも当てはまる、あれもそうだ」と確信に変わっていく。
そして気づけば、夫を「夫」としてではなく、「未診断の患者」として見るようになっていく。
実は、この「夫を障害者だと思いたい」という心理の裏側には、あなたの心が張り裂けそうなほど傷ついているという事実が隠されています。
なぜ私たちは「病名」を探してしまうのか
不倫という裏切りを経験した妻にとって、最も耐えがたいのは「なぜ、愛していたはずの私がこんなに苦しんでいるのに、彼は平気でいられるのか?」という不条理です。
自分の存在そのものを否定されたような痛みを理解してもらえない時、私たちの脳は、その痛みを処理するために「理由」を激しく求めます。
「夫が冷酷なのは、共感性が欠如している障害のせいだ」
「夫が嘘をつくのは、病的な特性のせいだ」
そう思うことで、ようやく私たちは「私が悪いわけではなかった」「私の愛し方が足りなかったわけではない」と、崩れそうな自尊心を繋ぎ止めることができるのです。
この時、病名はあなたにとって、自分を守るための「心の防波堤」になっています。
「理解できない」を「病気」に置き換える罠
しかし、ここに大きな落とし穴があります。
夫にレッテルを貼ることで一時的に心は安定しますが、それは同時に「相手との対話を諦める」ことにも繋がってしまうからです。
「彼は病気だから、何を言っても無駄」
「脳の構造が違うから、分かり合えるはずがない」
そう定義した瞬間、夫婦の間にあったはずの生身のコミュニケーションは止まり、代わりに「観察者と被験者」のような冷ややかな関係が生まれます。
もちろん、実際に特性があるケースもあるでしょう。
しかし、再構築という険しい道を歩む上で、相手をカテゴリーに閉じ込めてしまうことは、実は自分自身の首を絞めることにもなります。
「病気だから仕方ない」と諦めることは、裏を返せば「一生、私はこの欠陥のある人と我慢して生きていくしかない」という絶望を自分に強いることでもあるからです。
レッテルを貼ることで、何から逃げていたのか
私自身もそうでした。
夫を「ギャンブル依存症」や「人格障害の疑い」という枠にハメることで、彼と本気で向き合うことから逃げていたのです。
彼を異常だと決めつけていれば、私たちが築けなかった「普通の幸せ」の責任をすべて彼の特性に押し付け、自分の不満を正当化できたから。
でも、夫はそのレッテルを敏感に感じ取っていました。
私が彼を「普通じゃない人」として見るたび、彼は自分を全否定されていると感じ、さらに心を閉ざし、自己否定の闇に落ちていったのです。
今、あなたが夫に障害を疑っているのなら、それはあなたが「それほどまでに説明のつかない深い傷を負わされた」という証拠です。
まずは、病名を探してまで自分を守ろうとしている自分自身の頑張りを、認めてあげてください。
その上で、一度だけ自分に問いかけてみてほしいのです。
「もし彼が『普通の人』だとしたら、私は彼に本当は何を伝えたかったのか?」と。
病名というフィルターを一枚剥がした先にいる、不完全で、弱くて、愚かな一人の人間。
そのありのままの姿を見つめることから、本当の再構築は始まるのかもしれません。
私もずっと、夫に「普通じゃない」というレッテルを貼り続けていました。
結婚して間もなく、私の中に生まれたのは「小さな違和感」でした。
それまでは、電撃的に惹かれ合い、お互いを求め合う情熱的な関係でした。
若さゆえの盲目さもあり、彼こそが運命の人だと信じて疑わなかった。
けれど、いざ生活を共にしてみると、視界を覆っていた霧が晴れるように、彼の「異質さ」が次々と浮かび上がってきたのです。
「人と話すときに、なぜか目が合わない」
「格下だと思った相手に対して、あからさまに態度を変える」
「お酒を飲むと、別人のように気が大きくなる」
一つひとつは、些細なことかもしれません。
でも、それが積み重なるたびに、私の中に「この人は、私が知っている『普通』の枠組みには収まらない人なのだ」という確信が育っていきました。
分析という名の「自衛」
私は仕事柄、人の身体や心の違和感を分析し、解決策を見出す環境に身を置いています。
その性質も相まって、夫の行動特性をまるで症例を扱うかのように分析するようになっていきました。
不倫が発覚し、さらにギャンブル依存症が明るみに出たとき、私の分析癖はピークに達しました。
「彼は、自己愛性パーソナリティ障害ではないか?」
「境界性パーソナリティ障害の傾向が、あるのではないか?」
そんな言葉を頭の中で繰り返すことで、私は崩れそうな自分を必死に支えていたのです。
なぜなら、夫を「普通ではない存在」として定義してしまえば、私たちの関係が破綻している理由をすべて彼の「特性」のせいにできたからです。
「私が悪いんじゃない。彼が普通じゃないから、普通の夫婦になれないんだ」
そう自分に言い聞かせ、レッテルを貼ることで、私は自分自身の悲しみや、向き合うべき夫婦の問題から目を逸らしていました。
それは、癒えない傷を抱えた私にとって唯一の「逃げ場所」であり、正当化という名の精神安定剤だったのです。
「普通」という言葉の暴力
私は自分のことを、裏表がなく、誰に対しても平等に接する人間だと思っていました。
だからこそ、変わっていく私を冷ややかに見つめる夫に対し、「私は変わっていないのに、彼がおかしくなった」と決めつけていました。
しかし、私が彼に貼り続けた「異常」というレッテルは、知らず知らずのうちに彼を追い詰めていました。
「あなたは普通じゃない」
「あなたは病気だ」
口に出さずとも、私の視線や態度にはその軽蔑が混じっていたのでしょう。
かつて私を愛し、私の妊娠を誰よりも喜んでくれた彼は、いつしか私にとって「治療すべき対象」や「監視すべき依存症患者」に成り下がっていました。
彼にとって私は、好きになった頃のままの存在だったかもしれません。
けれど、私の中での彼は、もはや対等なパートナーではなく、名前のついた「障害」の集合体になっていたのです。
レッテルを貼ることで失ったもの
そうやって夫をカテゴリーに分類し、納得することで、確かに私は一時的な安らぎを得ました。
理由がわかれば、絶望に名前がつけば、少しだけ息がしやすくなるからです。
けれど、その代償として失ったのは、彼を一人の血の通った人間として見る心でした。
「普通」と比べて彼を採点し、足りない部分にラベルを貼る。
その行為が、再構築という名の「関係の修復」から私を遠ざけていたことに、当時の私は気付くことができませんでした。
私は彼を救おうとしていたのではなく、彼を「異常者」の枠に閉じ込めることで、自分を「被害者」という安全な場所に留めておきたかっただけなのかもしれません。
私が彼に貼り続けたレッテル。
それは、彼に対する拒絶であると同時に、幸せになることを諦めた私自身の「降伏宣言」でもあったのです。
検索履歴に並ぶ「DV・人格障害」の文字。夫の背中に見た真実。
再構築の過程で、私は自分の正しさを証明するために学びを深めていました。
心理学、愛着障害、パーソナリティ障害……。
知れば知るほど、夫の言動はそれらの「症状」に見事に合致するように思え、私はブログやノートにその考察を書き連ねていました。
しかしある日、私は見てしまったのです。
夫が使っているスマホの検索履歴を。
そこにあったのは、目を疑うような言葉の羅列でした。
「DV 特徴」
「境界性人格障害 不倫」
「モラハラ 診断」
「自分 おかしい」
そこには、私が彼に投げかけた言葉や、ブログに綴った「彼を分析する言葉」の断片が、そのまま検索窓に打ち込まれた形跡がありました。
夫が必死に探していた「自分の異常性」
夫は、私に言われるがまま、自分がどれほど異常な人間なのかを必死に調べていました。
私が勧めた本を読み、私が指摘した特性をネットで検索し、「自分は病気なんだ」「自分は普通じゃないんだ」という証拠を、彼自身がかき集めていたのです。
その検索履歴からは、彼が抱えていた深い絶望と、言いようのない孤独が滲み出ていました。
不倫をしたことへの罪悪感..
ギャンブル依存症という現実..
それらに加え、最も信頼したいパートナーである私から「あなたは障害があるのではないか」と突きつけられ続ける日々。
彼は、私からの「普通ではない」という評価をそのまま受け入れ、自分という人間を根底から否定し、暗闇の中でもがいていました。
その背中を見たとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
「彼を救おうとしていたはずの私の言葉が、彼を最も深く傷つけ、追い詰めていたのだ」と。
鏡合わせの自己否定
夫が自己否定を繰り返していた要因は、皮肉にも私の中にありました。
私が彼にレッテルを貼り、「あなたは普通じゃない」と言い続けること。
それは彼にとって、過去の過ちを反省する機会を与えることではなく、「君という人間には価値がない」と宣告し続けることと同義だったのです。
私は、両親から「普通はこうでしょ」と価値観を押し付けられることを、何よりも嫌っていました。
個性を尊重されない苦しみを知っていたはずなのに、私は愛する夫に対して、それと同じ、あるいはそれ以上に残酷な「普通」という物差しを振り回していたのです。
彼が不倫に走った背景には、寂しさや未熟さがあったのかもしれません。
しかし、発覚後の彼をさらに深い闇へ引きずり込んでいたのは、他でもない私の「分析という名の攻撃」でした。
理由を探すのをやめた日
私は、自分の心を安定させるために、「理由」を必要としていました。
彼を病名で呼ぶことで、この不条理な現実に名前をつけて、納得したかった。
けれど、その「納得」は私一人のためのものであり、夫婦としての再生を願うものではありませんでした。
夫の検索履歴に残された、悲痛な叫びのようなキーワードの数々。
それを見たとき、私はようやく気づきました。
彼に必要なのは、病名による分類でも、脳の仕組みの解説でもない。
ただ一人の人間として、これからの生き方を見守ってくれる存在なのだと。
私は、彼にレッテルを貼ることをやめる決心をしました。
それは、彼を「不倫をしたシタ夫」や「依存症患者」というフィルターを通さず、一人の不器用で、欠点だらけで、それでも私と共に歩もうとしている「一人の男性」として直視し直すという、勇気のいる一歩でした。
彼がスマホを握りしめ、震える指で「自分 おかしい」と検索していたあの夜。
その絶望の引き金を引いていたのが私自身だったのだと認めることは、私にとっても非常に苦しい作業でした。
しかし、その痛みこそが、私たちが「偽りの夫婦」を卒業するために避けては通れない、本当の意味でのスタートラインだったのです。
「不倫シタ夫」というレッテルを一度、剥がしてみるという選択。
「不倫をした夫」
「ギャンブル依存症の夫」
「共感能力のない、普通じゃない夫」
裏切りを知ったあの日から、私たちは彼らを呼ぶための「ラベル」を何枚も用意してきました。
そのラベルは、怒り狂いそうな自分の心を鎮めるための盾であり、彼という人間を理解不可能な異星人として切り離すための境界線でもありました。
しかし、再構築という険しい道を本気で歩もうとするならば、どこかのタイミングでそのレッテルを、一枚ずつ、剥がしてみる勇気が必要になります。
カテゴリーで見ることをやめる勇気
私たちは、相手に名前をつけることで安心します。
「彼はアスペルガーだから話が通じないのだ」「彼は自己愛が強いから私を傷つけるのだ」と定義すれば、その瞬間だけは、複雑な夫婦問題が単純な「症例」へと姿を変えるからです。
けれど、レッテルを剥がさずに相手を見続けることは、実は相手の「変化」の可能性を摘み取ることでもあります。
病名や過ちの名前で相手を固定してしまうと、彼がふと見せた優しさや、彼なりに必死に変わろうとしている努力さえも、「どうせ病気の特性だろう」「また機嫌取りのための演技だろう」と、歪んだフィルターを通してしか受け取れなくなってしまいます。
レッテルを剥がすということは、彼を免罪することではありません。
そうではなく、彼を「病名がついた何か」ではなく、血の通った、間違えることもあれば反省することもある、たった一人の「人間」として再定義するということなのです。
「普通」という物差しを捨てる
私がレッテルを剥がして気づいたのは、私自身が「世間一般の普通」という実体のない化け物に縛られていたということでした。
「普通の夫なら、こうしてくれるはず」
「普通の幸せな家族は、こうあるべき」
その理想と現実のギャップを埋めるために、私は夫を「異常」という枠にハメることでバランスを取っていたのです。
けれど、よく考えてみてください。
世の中に「完璧に普通の人間」なんて、一人だっているのでしょうか。
私自身、裏表がないと言いながらも、夫に対しては冷酷な分析官の顔を持っていました。
私もまた、ある側面から見れば「普通」ではなかったのです。
今の我が家には、中1から不登校になった息子と、放課後等デイサービスに通う娘がいます。
かつての私なら、娘にも「発達障害」というレッテルを貼り、世間との違いに絶望していたかもしれません。
でも、夫との葛藤を経て、レッテルを剥がす痛みを経験した今の私は、娘を「特性のある子」ではなく、ただの「愛すべき娘」として、そのままの姿で抱きしめることができます。
それは、夫に対して「不倫したシタ夫」というレッテルを剥がし、一人のパートナーとして向き合い直した経験があったからこそ、辿り着けた境地でした。
相手を信じるのではなく、自分の「見る目」を変える
「また裏切られるかもしれない人に、レッテルを剥がして向き合うなんて怖すぎる」
そう思うのは当然です。
レッテルを剥がすことは、自分を守っていた盾を置くことと同じですから。
でも、一度だけ試してみてほしいのです。
彼が不倫をしたという「事実」は消えませんが、彼を「不倫をするような人間だ」と決めつけて見るのを、今日だけはやめてみる。
朝、起きてきた彼に「おはよう」と言うとき。
彼が洗い物をしてくれたとき。
その行動を、分析の対象としてではなく、ただ目の前にいる一人の人間が行ったこととして受け止めてみる。
世間が決めた基準や、ネットで調べた診断名、そして過去の過ち。
それらをすべて一旦脇に置いて、今、あなたの目の前に座っているその人を、真っさらな目で見つめ直してみてください。
そこには、
あなたがかつて電撃的に惹かれ、共に人生を歩もうと決めた、あの人の面影がまだ残っていませんか?
あるいは、自分の弱さと向き合おうとして、震えている一人の男性の姿が見えませんか?
レッテルを剥がす。
それは、彼のためではなく、あなたが「憎しみの分析官」として生きるのをやめ、再び「愛する主体」として自分の人生を取り戻すための、聖なる儀式なのです。
再構築を「偽りの関係」で終わらせないために。
再構築という言葉の響きは、どこか美しく、希望に満ちています。
しかし、その実態は、壊れたガラスの破片を一つひとつ素手で拾い集めるような、痛みを伴う作業です。
多くの夫婦が、不倫発覚後の嵐を乗り越えようと「再構築」を選択します。
しかし、悲しいことに、その多くが「偽りの関係」という、中身のない箱を必死に守る状態に陥ってしまいます。
かつての私が、まさにそうでした。
夫を「ギャンブル依存症」と呼び、「アスペルガーではないか」と疑い、分析という名のフィルターを透かしてしか彼を見なかったあの頃。
私たちの家庭は、一見すれば平穏を取り戻したかのように見えていました。
子供たちと笑い合い、共に食卓を囲む。
けれど、その中心にある夫婦の絆は、すでに通い合うことをやめた「仮面」の状態だったのです。
「正当化」という名の逃げ道
なぜ「偽りの関係」になってしまうのか。
それは、一方が「被害者」であり続け、もう一方が「加害者」あるいは「異常者」というレッテルを貼られたままだからです。
私は夫にレッテルを貼ることで、自分を安心させていました。
「夫が普通じゃないから、私たちは普通の夫婦になれないんだ」と言い訳をすることで、本当の意味で彼と心を通わせる努力から逃げていたのです。
相手を「欠陥のある人間」として扱っていれば、自分が歩み寄って再び傷つくリスクを回避できるからです。
しかし、それは再構築ではなく、ただの「共存」に過ぎません。
一方が上から目線で相手を分析し、もう一方が自己否定の闇に沈みながら顔色を窺う。
そんな不均衡な関係の上に築かれる未来は、いつか必ずまた崩れます。
なぜなら、そこには「尊敬」と「対等な対話」が欠如しているからです。
偽りを卒業するための「痛み」
再構築を「偽りの関係」で終わらせないためには、私たちが握りしめている「正しさ」という武器を、一度下ろさなければなりません。
「私は裏切られた被害者なのだから、何を言っても許される」
「彼は加害者なのだから、一生私の顔色を窺って生きるべきだ」
そうした思いを抱えたままでは、二人の間に流れる空気はいつまでも澱んだままです。
もちろん、裏切られた事実は消えませんし、その傷が癒えるには膨大な時間がかかります。
しかし、その傷を「相手をコントロールするための道具」にしてしまったとき、再構築は「偽り」へと変質します。
私が夫の検索履歴を見たときに感じた、あの戦慄。
それは、私が作り上げた「偽りの再構築」が、夫という一人の人間をどれほど窒息させていたかを突きつけられた瞬間でした。
私が分析し、正当化し、逃げ続けていた間に、夫は「自分はおかしい人間だ」という呪縛に完全に取り込まれていました。
二人の人間が、不完全なまま、それでも手を繋ぎ直す。
そのためには、相手を「不倫シタ夫」という記号ではなく、一人の弱さを持った人間として受け入れる覚悟が必要だったのです。
「普通」ではないけれど、唯一無二の家族へ
今の私たちは、世間が言う「普通の夫婦」や「理想の家庭」とは少し違うかもしれません。
夫にはギャンブル依存症という事実があり、息子は不登校でフリースクール、娘は放課後デイサービスに通い、私はかつて夫を病名で呼んで追い詰めたという過去があります。
けれど、今の私たちの間には「偽り」はありません。
夫の不器用さも、私の気の強さも、子ども達の現状も、すべてを「レッテル」という箱に押し込めるのをやめたからです。
「普通」という言葉を使って、誰かと比べて、安心したり絶望したりするのはもう終わりにしました。
世間が基準じゃない。
自分たちが、自分たちの愛する存在を「これが私たちの形だ」と認められたとき、そこには偽りのない、温かな血の通った家族の時間が流れ始めます。
もし今、あなたが夫との間に「見えない壁」を感じているのなら、それはあなたが自分を守るために築いた「レッテルの壁」かもしれません。
その壁を壊すのは、怖いことです。
無防備になるのは、勇気がいります。
けれど、壁の向こう側にいる夫の手を、もう一度だけ「生身の人間」として握ってみてください。
偽りの再構築を、本当の「再生」へと変えられるのは、診断名でも専門家の言葉でもなく、あなたのその勇気ある一歩なのです。
まとめ:今日だけは、夫を「一人の人間」として見つめてみませんか?
ここまで読み進めてくださったあなたは、きっとボロボロになるまで戦い、答えのない問いに答えを出そうと、必死に今日まで繋いできたのだと思います。
「夫を障害者だと思わなければ、やっていられなかった」
その気持ちを、どうか否定しないでください。
それはあなたが自分自身の心を守り抜くために必要だった、精一杯の防衛本能だったのですから。
でも、もし今のあなたが「再構築をしているはずなのに、心がちっとも通い合わない」と感じているのなら。
今日という日を、新しい関係への「一歩目」にしてみませんか。
レッテルを、そっと横に置く
今日一日だけで構いません。
夫に貼り付けた「不倫シタ夫」「アスペルガー」「依存症患者」というラベルを、心の引き出しにそっと仕舞ってみてください。
難しいことではありません。
ほんの少し、視点を変えるだけでいいのです。
・「分析」するのをやめて「観察」してみる:「この行動はあの障害の特性だ」と脳内で診断するのをやめて、ただ「あ、今、彼はコーヒーを飲んでいるな」「少し疲れた顔をしているな」と、ありのままの事実だけを眺めてみてください。
・「普通」という物差しを隠す :「普通の夫ならこうするのに」という比較が浮かんだら、「あ、今は物差しを使わないんだった」と思い出して、脇に置いてください。
一人の「未完成な人間」として見る
レッテルを剥がした後に残るのは、あなたと同じように、不完全で、弱くて、間違いを犯し、そして今この瞬間を生きている「一人の人間」の姿です。
かつてあなたが恋に落ちたときの、あの不器用な笑顔や、意外な優しさ。
あるいは、不倫発覚後に自分を責め、検索窓に「自分 おかしい」と打ち込んで震えていた、情けないほどの脆さ。
それらすべてを含めた「一人の男性」として、もう一度だけ彼を見つめてみてください。
そこには、診断名という文字の羅列では決して語り尽くせない、体温を持った一人の人間が立ち尽くしているはずです。
あなたの「一歩」が、鏡となって返ってくる
あなたが彼を「異常者」として見れば、彼は「異常者」として振る舞い、さらに心を閉ざします。
しかし、あなたが彼を「一人の大切なパートナー」として見つめ直したとき、彼の中にある「夫としての自覚」や「一人の人間としての誇り」が、静かに息を吹き返し始めます。
再構築は、過去を消す作業ではありません。
お互いに貼られたドロドロのレッテルを一枚ずつ剥がし、真っさらな肌で、もう一度握手を交わす作業です。
今日、彼が帰宅したとき。
あるいは、今隣にいる彼に対して。
ほんの一瞬でいい。
分析官の目ではなく、ただの「私」として、彼の目を見てみませんか?
その一瞬のまなざしの変化が、偽りの関係を終わらせ、本物の家族へと向かう「奇跡の始まり」になるかもしれません。
あなたは一人ではありません。
「普通」という呪縛を解き、あなたたちだけの幸せな形を、今日から一緒に見つけていきましょう。
夫婦再構築は、あなたが生きやすくなるスタートラインに過ぎません。
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