【夫が不倫した理由?】「自由」を求めた夫婦のボタンの掛け違い

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目次

自分を後回しにしがちなあなたへ

「旦那がずっと家にいるなんて苦痛!早く仕事に行ってほしい(笑)」

周りのママ友からは、そんな声をよく耳にします。

けれど、私は違いました。
「パパのことが本当に好きなんだね」と言われるほど、休みの日も日常も、常に夫と一緒にいるのが当たり前。
それが「幸せな家族の形」だと信じて疑わなかったんです。

でも、そんな私たちの間に起きた2021年の不倫

なぜ、いつも一緒にいた私たちが?
なぜ、家族を大切にしていたはずの夫が?

今振り返ると、そこには「家族愛」という名の執着と、お互いが求めていた「自由」との残酷なボタンの掛け違いがありました。

今回は、私が夫を縛り付けていた過去の自分と向き合い、不倫という絶望を経て、ようやく見つけた「縛らないのに愛される関係」についてお話しします。

もし今、あなたが「家族のために頑張っているのに、夫とうまくいかない」と感じているなら、その苦しさの正体を見つけるヒントになるかもしれません。

長期休暇が苦痛…「家族は一緒にいるべき」という理想の重圧

「家族なんだから、休みは一緒に過ごすのが当たり前」
「パパなんだから、子供の相手をするのが普通」

かつての私は、そんな「正論」という名の鎖で、夫も、そして自分自身の首も絞めていました。

世間が夏休みモードに入ると、私は決まってソワソワしていました。
夫の休みが1週間あると聞けば、その全日程を「家族のスケジュール」で埋め尽くすことに全力を注いでいたのです。

「11日は夫の実家へ帰省」
「13日は家族旅行」
「14日は子供を公園に連れて行く」

頭の中にあるのは、絵に描いたような「幸せな家族」のテンプレート。
そこに夫の意思や、私の本当の疲れが入り込む隙間はありませんでした。
私の母が父にベッタリな人だったこともあり、夫婦とは..家族とは..常に一体であるべきだと思い込んでいたのです。

「正しい家族」という名のコントロール

当時の私は、夫が仕事以外で一人になりたがったり、趣味に没頭したりすることを、どこか「いけないこと」のように感じていました。

「せっかくの休みなのに、どうして子供と遊ばないの?」
「家にいるなら、もっと家族のために時間を使ってよ」

直接口に出さなくても、私の全身からはそんな圧力が漂っていたはずです。
夫はもともと、一人で遊ぶ時間や、ただぼーっと寝る時間を大切にしたいタイプ。
それなのに、私は「家族のために尽くす夫こそが健全である」という理想を押し付け、彼のパーソナルスペースをじわじわと侵食していました。

今思えば、それは愛情ではなく、私の「不安」からくるコントロールだったのだと思います。
夫を自分の監視下に置き、家族という枠組みに閉じ込めることで、自分の安心感を得ようとしていたのです。

自分の「べき」が自分を苦しめる

恐ろしいのは、夫を縛り付けていたその「べき論」が、私自身の人生をも縛っていたことです。

「母親なんだから、一人の時間を欲しがってはいけない」
「妻なんだから、夫の予定に合わせるのが美徳である」

そうやって自分を抑え込んでいたからこそ、自由に振る舞おうとする夫を許せなかった。
周りのママ友が「夫がいなくてラッキー!」と笑っているのを見て、「私はパパが大好きだから、そんな風に思わない」と自分に言い聞かせていましたが、その実、自分の自由を認めるのが怖かっただけなのかもしれません。

私が私を縛り、そのお返しとして夫を縛る。
そんな重苦しい空気の中で、私たちは「理想の家族」を演じ続けていました。

2020年、私の職場環境が変わり、娘が小学生になったことで、私の中に少しずつ「自分だけの時間」が芽生え始めました。
1人でカフェに行き、誰の顔色も窺わずにコーヒーを飲む。
その解放感を知ったとき、私の中で何かが崩れ始めました。

「私も自由になりたい。だから、夫も自由にしていいよ。」

そう、私が勝手に作り上げた「家族は一緒」という魔法を、ある日突然、無言で解いてしまったのです。
それが夫にとって、外の世界へ飛び出す「免罪符」になってしまうとは思いもしないまま……。

「ボタンの掛け違い」は、この時すでに、決定的なものになっていました。

不倫発覚。あんなに家族に尽くしてきたのに、なぜ?

2021年9月。
私の信じていた世界は、音を立てて崩れ去りました。

夫の不倫。

その事実を突きつけられたとき、真っ先に込み上げてきたのは「どうして?」という激しい怒りと、やり場のない虚しさでした。

「私はこんなに、家族を一番に考えてきたのに」
「あなたの自由を奪わないように、一生懸命歩み寄ってきたのに」
「仕事以外の時間はすべて家庭に捧げるのが、夫婦の誠実さじゃないの?」

あんなに夫を大切に思い、家族としての形を守るために必死だった自分を否定されたような気持ちでした。
不倫が発覚した後の数ヶ月間は、まさに地獄。
私はそれまで以上に夫に執着し、四六時中、彼の居場所や行動を把握しようとしました。

「不倫をしたんだから、監視されて当然でしょ」
「失った信頼を取り戻すなら、一生私の管理下で過ごしてよ」

そうやって夫をさらに強く縛り付け、彼の人生そのものを奪うことで、自分の傷ついた心を守ろうとしていたのです。
それが正当な権利だと思っていました。

でも、いくら縛っても私の心は晴れません。
むしろ、夫を追い詰めれば追い詰めるほど、二人の間の空気は冷え切り、逃げ出したくなるような沈黙だけが部屋に充満していきました。

私が夫を「不要」にしたという、残酷な真実

けれど、感情の嵐が少しずつ収まり、これまでの自分たちを客観的に見つめ直せるようになったとき、ある「残酷な真実」に気がつきました。
不倫が始まる前、2020年から2021年にかけて、私たち夫婦の関係には静かな、けれど決定的な変化が起きていたのです。

私が転職し、生活に少しだけ余裕ができた時期。
私は「自分一人の時間」の心地よさを知りました。
一人のカフェ、一人の外出。
それまで「家族は常に一緒」という呪縛に自分を閉じ込めていた分、その解放感は凄まじいものでした。

そこで私は、無意識のうちに夫に対してこう思うようになったんです。

「私も自由にするから、あなたも自由にしていいよ」
「私の時間が充実してきたから、もうあなたと一緒にいなくても大丈夫」

それは一見、相手を尊重した「自立」のように見えますが、実は「あなたがいなくても、私は満足できる」という、一方的な拒絶に近いオーラを放っていたのだと思います。
今まであんなにベッタリだった妻が、急に自分を放置し、興味を失ったように見える。

夫にとって、それは「信頼」ではなく「放置」であり、「自由」ではなく「疎外感」だったのかもしれません。

「自由」の意味を履き違えた代償

夫は、仕事以外は「寝るか遊ぶか」をしていたいタイプです。
誰かに干渉されることを嫌う一方で、実は誰よりも「自分の存在を認めてほしい」という欲求が強い人でもありました。

私が「家族は一緒であるべき」と縛り付けていたときは、彼は窮屈さを感じていた。
けれど、私が「私は自由にするから、あなたも勝手にして」と急に手を離したとき、彼は自分の居場所を見失ってしまった。

私が夫を「不要」としてしまった隙間に、スルリと入り込んだのが不倫相手だった。
そう気づいたとき、パズルのピースがパチリとはまったような気がしました。

もちろん、不倫という選択をしたのは夫自身の責任です。
どんな理由があろうと、裏切りは許されることではありません。
でも、私たちの間には、確かに「ボタンの掛け違い」があった。

「縛りすぎていた自分」から「無関心になった自分」へ。..

極端から極端へと振れた私の心の変化が、夫を外の世界へと暴走させてしまった一因だったのかもしれない。
あんなに尽くしてきた。
あんなに愛してきた。

でも、その「尽くし方」や「愛し方」が、夫が本当に求めていた形とはズレていたことに、私はどん底まで落ちて初めて気がついたのです。

「不要にしたのは私だった」気づきが変えた夫婦の距離感

不倫発覚後、狂ったように夫を縛り付けていた私を救ったのは、皮肉にも「私自身も自由になりたかった」という、心の奥底に眠っていた本音でした。

四六時中、夫の行動を監視し、LINEの返信が遅れれば疑心暗鬼になる。
そんな執着の真っ只中で、ふと鏡を見たとき、そこに映っていたのは憎しみ不安でボロボロになった自分の姿でした。

「私は、いつまでこの人を監視し続ける人生を送るつもりなんだろう?」

その問いが、私の頑なだった心を少しずつ溶かしていきました。

よくよく考えてみれば、不倫が始まる前、私が一人でカフェに行き、自分だけの時間を楽しみ始めたあの感覚……
あれは決して「夫を蔑ろにしたかった」わけではなく、私自身が自分の人生を歩みたがっていた証拠だったのです。

私は、周りのママ友たちが「夫がいなくてわーい!」と笑い合っている姿が、本当は羨ましかった。
自分一人で立ち、自分の機嫌を自分で取れる彼女たちが眩しかった。
だからこそ、自分もその自由を手に入れようとして、今まで縛り付けていた夫の手を、何の対話もなく「急に」放してしまった。

それは、繋いでいた手を離して「隣を歩こう」と提案することではなく、いきなり背中を向けて走り去るような、乱暴な手放し方だったのだと気付きました。

「執着」から「信頼」へのシフト

「私が夫を不要にしたから、彼は離れた」
この気づきは、最初はとても苦しいものでした。

自分の非を認めるようで、負けたような気がしたからです。
でも、この事実に直面したとき、ようやく「不倫したから罰を与える」という被害者のステージから、一歩外へ踏み出すことができました。

夫をコントロールすることは、愛情ではない。
それは、自分の不安を埋めるための道具として、夫を利用しているだけだった。

そう気づいてから、私は夫を縛るのをやめました。

「休日は家族のために過ごすべき」
「家では子供と遊ぶべき」

そういった、私の中の「べき論」を一つずつ手放していったのです。

夫が一人で寝ていたいときは、寝かせておく。
夫が一人で出かけたいときは、笑顔で送り出す。
その代わり、私も自分が行きたい場所へ行き、やりたいことをする。

私たちが目指すべきなのは、お互いを鎖で繋ぐ関係ではなく、それぞれが自立した個人として、心地よい距離で見守り合う関係なのだと、ようやく理解できました。

言語化することで、透明になった関係

私たちが変わるために必要だったのは、沈黙でも監視でもなく、圧倒的な「対話」でした。
今、私たちは、お互いに不安に思ったことや納得いかないことがあれば、その瞬間に言葉にするようにしています。

「今、こういう理由で不安になったよ」
「それは、こういう意図でやったことだよ」

以前の私は、不満を溜め込んで、ある日突然「もういい!」と爆発したり、無言のオーラで相手をコントロールしたりしていました。
でも今は、感情を溜め込む前に「すり合わせ」をします。

驚いたことに、私が夫を縛るのをやめると、夫は以前よりもずっと、自発的に家族を大切にしてくれるようになりました。
「自由にしていいよ」というオーラが、以前の「突き放した自由」ではなく、今は「信頼した上での自由」として夫に伝わっている。
その変化が、私たちの距離感を劇的に変えました。

不倫という大きな代償を払ったけれど、その痛みがあったからこそ、私は「夫の人生を奪わない」という本当の愛の形を知ることができたのだと思います。

長期休みはノープラン!「個」を認める新しい過ごし方

かつての私にとって、長期休みが「ノープラン」であることは、あり得ないことでした。

「せっかくの長期休暇なのに、何もしないなんて時間がもったいない」
「子供たちに特別な思い出を作ってあげなきゃ」
「夫の実家に帰省して、嫁としての務めを果たさなきゃ」

そんな義務感に突き動かされ、分刻みのスケジュールを立てては、計画通りに動かない夫や子供たちに対してイライラを募らせていたものです。
予定を詰め込むことが「充実」であり、家族が足並みを揃えて動くことが「幸せ」だと信じ込んでいました。

けれど、不倫という嵐を乗り越え、自分たちの心の在り方を見つめ直した今、私たちの夏休みは驚くほどシンプルになりました。

「べき」を捨てて見つけた、本当の家族の姿

「夫の実家に帰省するべき」
「家族旅行をするべき」
「毎日子供たちのために尽くすべき」

そんな固定観念を、今の私は持っていません。
もちろん、家族で出かけることが嫌いになったわけではありません。
ただ、「しなければならない」という強制力を手放したのです。

夫は、家でゆっくり寝たり、自分の好きなペースで過ごしたりしたいタイプ。
私は、行きたい場所へ行き、適度に新しい刺激を受けたいタイプ。
そして子供たちもまた、それぞれにやりたいことや、家でのんびりしたい日がある。

それぞれが違う人間なのだから、休みの日だってやりたいことが違って当たり前です。
それを「家族だから」という理由で無理やり一つの枠に押し込めるのは、もうやめました。

夫が一人で過ごしたい時間は、それを尊重する。
私が出かけたいときは、夫に子供たちをお願いして快く送り出してもらう。
「せっかくの休みなのに!」と相手を責めるのではなく、「それぞれの時間を楽しもう」と認め合えるようになったことで、家の中に流れる空気が格段に軽くなりました。

1人時間を満喫できる「自律」という強さ

夫の時間を縛らなくなったことで、私自身にも大きな変化がありました。
それは、私自身が「1人時間」を心から満喫できるようになったことです。

以前の私は、1人でいることにどこか罪悪感を持っていたり、1人で何をしていいか分からず夫に依存したりしていました。

でも今は違います。
1人でカフェに行き、これからの人生について考えたり、趣味に没頭したりする時間は、私にとって自分自身を整えるための大切な儀式です。

私が自分の足で立ち、自分の時間を楽しめるようになると、不思議と夫に対する「執着」が消えていきました。
「夫がどこで何をしているか」を監視するのではなく、「夫も今、自分の時間を楽しんでいるだろうな」と信頼して放置できる。
この心の余裕こそが、今の私たち夫婦にとっての「健全な距離感」なのです。

周りに左右されない、我が家だけの「普通」

世間には、華やかな旅行の写真をSNSにアップする家族や、毎日アクティブに活動するママ友がたくさんいます。
以前の私なら、それを見て「うちは何もしていない、ダメな家族だ」と落ち込んでいたかもしれません。

でも、今の私は、周りの物差しで自分たちを測ることはありません。
たとえノープランでも、家族それぞれが笑顔で、心地よく過ごせているなら、それが我が家にとっての正解

「我が家はこれでいい」 そう胸を張って言えるようになったことが、不倫という経験を経て得た、一番の収穫かもしれません。

私にとっての長期休暇は、もう「家族の義務を果たす日」ではありません。
1人時間を有効に使える日。
子供たちと、飾らない日常を慈しむ日。
そして、夫とのんびりと、今の穏やかな関係を再確認する日。

それで十分。
いえ、それが最高に幸せなのだと、今の私は心から感じています。

周りと比べなくていい。自分たちが心地よい「普通」を作ろう

「普通の家族なら、夏休みはこうするよね」
「普通の夫婦なら、もっとこうあるべきだよね」

不倫を経験するまでの私は、この「普通」という言葉にどれだけ振り回されてきたことでしょうか。
SNSを開けば、家族仲睦まじく旅行へ行く写真や、記念日を豪華に祝う夫婦の姿が溢れています。
それを見ては、自分の家庭に足りないものを探し出し、夫に「もっとこうしてよ」と要求することで、無理やり「理想の普通」の形に当てはめようとしていました。

でも、不倫という壮絶な出来事を経て、一度その「普通」の形が粉々に砕け散ったとき、私はようやく気づいたのです。

世間が作った「普通」を目指しても、私たちが幸せになれるわけではない。
大切なのは、壊れた欠片をかき集めて元に戻すことではなく、今の私たちが一番呼吸しやすい、新しい「普通」を自分たちの手で作り上げることなのだと。

「ズレ」を許容することが、絆になる

今の我が家の「普通」は、世間から見れば少し変わっているかもしれません。

休みの日、私は一人でカフェに出かけ、夫は家で子供たちを見ながらのんびり過ごす。
長期休暇だからといって、必ずしも毎日家族全員で行動するわけではない。
でも、それが今の私たちにとって、お互いを尊重し、笑顔でいられる最良のバランスなのです。

以前の私なら、「休みの日くらい家族で出かけないなんて、冷え切った夫婦だと思われる」と不安になっていたでしょう。
でも、今は違います。
周りにどう見られるかよりも、私と夫が、そして子供たちが「今、心地よいかどうか」の方が、何百倍も大切だと思えるようになりました。

夫婦の休みがズレていても、それぞれの過ごし方が違っていても、根底に「相手を尊重する気持ち」があれば、それは立派な家族の形です。
むしろ、無理に足並みを揃えようとして不満を溜めるよりも、それぞれの「自由」を認め合うことで、一緒にいる時間の密度はぐっと濃くなりました。

自分を満足させることが、最優先事項

「自分たちが心地よい普通」を作るために、私が一番大切にしていること。
それは、まず自分自身を満足させることです。

私が私を縛るのをやめ、自分の時間を楽しみ、自分の人生を肯定できるようになったとき、夫に対する過度な期待や執着は自然と消えていきました。

私が幸せで満たされていれば、夫が何をしていても、誰といても(もちろん、不倫は別ですが!)、私の価値は揺るがない。
そう確信できたとき、本当の意味で夫を自由にさせてあげることができたのです。

今の私は、夫の実家に帰省しなくても、豪華な旅行に行かなくても、自分を責めることはありません。

「今年は家でゆっくりしたいね」
「私は一人でここに行きたいから、お願いね」

そんな風に、素直な欲求を出し合い、折り合いをつけていく。
そのプロセスこそが、今の私たちの「普通」であり、信頼の証でもあります。

あなただけの「幸せの形」を描いていい

もし今、あなたが「周りの家族が羨ましい」「うちはどうして上手くいかないんだろう」と孤独を感じているなら、一度その「普通」という物差しを捨ててみてください。

不倫という裏切りを経験したからこそ、見える景色があります。
痛みを乗り越えようとしている今だからこそ、作れる新しい関係があります。

それは、教科書に載っているような「幸せな家族」ではないかもしれません。
傷跡も残っているし、時々不安になることもある。

けれど、お互いの弱さを知り、自由を認め合い、それでも「一緒にいよう」と選んだ今の二人には、以前よりもずっと強くてしなやかな絆が育っているはずです。

ノープランの長期休み。
ズレている休日。
一人で過ごす静かな時間。

それらが、あなたとあなたの家族にとって心地よいのであれば、それが世界で一番素敵な「普通」なのです。
周りに左右されず、あなたたちだけの「幸せの地図」を、ゆっくりと描いていけばいい。

今の私は、そんな風に自分たちの「普通」を愛せるようになったからこそ、長期休暇も日常も、等身大の幸せを感じることができています。

まとめ:まずは1人でカフェへ。自分を満足させることが、夫婦円満の第一歩

ここまで読んでくださったあなたは、きっとこれまで「家族のために」「夫のために」と、一生懸命に自分の時間を後回しにしてきた優しい方なのだと思います。

でも、もし今あなたが「どうして私ばかり頑張っているの?」「夫が自由にしているとイライラする」と感じているなら、それはあなたの心が「私にも自由をちょうだい!」と叫んでいるサインかもしれません。

夫婦円満の秘訣は、相手をコントロールすることではありません。
まずは、あなた自身を「ご機嫌」にしてあげること。
これに尽きます。

小さな「自分への許可」から始めよう

いきなり「一人旅に行ってくる!」と言うのは、ハードルが高いかもしれません。
だからこそ、まずは1時間だけ、近所のカフェへ足を運んでみませんか。

夫に子供を預けてみる
スマホの通知をオフにして、自分の好きな本を開く
温かいコーヒーを飲みながら、ただ「今の自分の気持ち」を眺める

「母親なのに、一人で楽しんでいいのかな?」なんて罪悪感は、お店の入り口に置いてきてください。
あなたがカフェでリフレッシュして、ニコニコしながら「ただいま!」と帰ってくること。
実はそれが、夫にとっても子供にとっても、一番のプレゼントになるのです。

あなたが満たされれば、夫への執着は消えていく

私自身、自分が1人時間を満喫できるようになってから、夫の行動が気にならなくなりました。
自分が満たされていると、相手にも「自由に過ごしていいよ」と心から言えるようになるからです。

「不倫されたから、絶対に離れない」と縛り付けるよりも「私は私で楽しんでいるから、あなたもあなたの時間を大切にしてね」と言える自立した関係の方が、結果として夫はあなたの元へ帰りたくなります。

今日、あるいはこの週末。
たった1時間で構いません。
「家族のため」ではなく、「自分のため」だけに時間を使ってみてください。

その小さな一歩が、窮屈だった夫婦関係に新しい風を吹き込み、あなたを「正論の呪縛」から解放してくれるはずです。

あなたが一番「ホッとする」場所はどこですか?
もし良ければ、あなたが今度1人で行ってみたい場所や、やりたいことを私に教えてください。
言葉にすることで、それは「願い」から「予定」に変わります。
次にカフェへ行く日の計画、一緒に立ててみませんか?

夫婦再構築は、あなたが生きやすくなるスタートラインに過ぎません。
もっとあなた自身が楽に生きられるよう、サポートいたします。

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この記事を書いた人

夫に不倫されて晴天の霹靂...
自分を責めてしまう女性へ。

何かに依存する人生から卒業して
自立して過ごせる方法を
お伝えします。

今を大切にする考え方で、
人生最大の困難を明るい未来へ。

・アドラー流メンタルトレーナー
・HSPカウンセラー
・作業療法士

私自身も、HSP気質であり
ACの過去を持ち、
共依存・カサンドラ症候群
という人生でした。

今、10年以上苦しんだ
夫との関係性を修復し
実体験から編み出した講座で
過去の私と同じ苦しみを
抱く女性に心理学を
お伝えしています。

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